月夜の戯れ 朗読 / 白鷹




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所要時間:30分程度
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濃紺の空に冴え冴えとした月が眩しい程に輝く夜。
中引けの刻になると、どの見世も座敷での宴を終えてそれぞれの馴染みと共に褥に着く。
わっちも今宵は早々に座敷を切り上げて褥入りの支度を整え始めた。左右の具合よろしく丁寧に差し込まれた簪や櫛、笄を一つずつ丁寧に外す。
枕、と言われる床入りに簪を挿してはならぬ。今生の苦痛に苛まれ死を選ぶ客の無理心中は、この遊郭に於いて決して少ない方ではない。
凶器に変貌する怖れがある物は何一つ持って入る事は許されないのだ。

と、大義名分はさておき、髪を乱さぬ為ではあるが、ゆっくりと丁寧に外す理由はそれだけではない。
客を少し焦らす為。
いつでもかつでも客に失礼の無い様にそさまを大切にと、そう心掛けるのは当然でありんすが金を積めば思い通りになるなどと思われるのも癪に障りんす。
褥に遅れる、もしくは他の客に気のある素振りもたまにする、内儀さんに嫉妬する、あの手この手を使って客を困らせるのも女郎の手管。今宵は四半刻ほど遅れてみんしょうか。
静かに廊下を歩き部屋に行くと、若衆がわっちの到着を客に伝える。障子をあけると既に襦袢で酒を飲んでいた男が不意に顔を上げる。
もしや、部屋に戻らぬのではないかと懸念していた男はわっちの姿を見るや、甘い菓子を貰った子供のように顔を輝かせるのはなんとも微笑ましい光景ではありんせんか。
わっちには多くの馴染み客がいる。そうあるべく躾られたのだ
数人の客の申し入れがある為に待ちぼうけを食らう客は、決して少なくありんせん。
今宵とて例外ではない。祝儀を渋ったが為に、朝までひとり寝の布団で寂しく過ごす男が二人。
あわれと思えど美貌も技芸も磨き抜いたわっちを安く見積もるなど、言語道断、ざまあ見ろと心の中では思っておりんす。

ここは遊郭。
男が女を選ぶこともあろうが、この若山の頂点を極めた女は男を選ぶ。
わっちは男を選べる女になりんした。
選ぶ基準は容姿ではない。男前だからと高をくくった男、金にものを言わせるような、無粋者侘び寂びをわきまえぬ不心得者は客にはなりんせん。
座敷の作法、理、持ち店の安泰、全てを兼ね備えた人の上に立つ者こそが、わっちの客に相応しい。
とはいえ一度褥に入ってしまえば人間味があらわになる。
今日の客は三蔵(みつくら)に店を構える札差し。人望と温厚な人柄で、まだ新しいが、今後も安定して客になると言えんしょう。
煌々と照らす月の眩しさに行灯の燈も霞んでしまう。夏の暑さも成りを潜めた夜、秋の虫がまだかまだかと待ち望んで美しい音色を奏でる。
風のないこんな日は煙管から立ち上る紫煙が糸のようにすっと天に舞う。
男に媚びるでもなく、肘掛に体を預けて三口、煙草を味わうと吸い殻を灰壷にコンコンと軽く打ち付けた。
さて、今宵はどのようにして己の価値を男に知らしめんしょうか。
煙草の余韻に浸る頭は若干朦朧として愚鈍な動作で考えを巡らせる。
いつも同じ手管では評判も落ちようというもの。だが、熟練された技芸を最初から男にくれてやるのも惜しい。
ふと男が動く。
何か無礼を働くなら、容赦なく二階回しを呼びつけて摘み出してやると考えていると、男は両の手のひらを畳につける。

土下座。

一体、何を思って土下座など? この男はわっちが褥にあげるほど礼儀正しい。何一つ謝罪される言われもない筈でありんすが。

「深川様、どなんしんした? 殿方がそんなに簡単に手をつくもんじゃござんせん」

「牡丹花魁に頼みがある」

頼み? 土下座をする程の頼みとは・・・、少々身構えてしまいんす。

「出来る頼みと無理な頼みがありんす、深川様も大店の旦那。めったなことはおっしゃらんと思いんすが、下級女郎の真似事なら断りんすよ」

「裸を見たいんだ」

りーんりーんと一際、鈴虫の鳴き声が高くなった気がしんした。

「裸」

男の言った言葉をゆっくりと反芻する。

「天女のような衣装で道中を練り歩いている時から思っていた。その豪華な着物を脱いだら、どれほど悩ましく美しいのか、と。
 巷に流れる姿も花魁のしどけない姿は書かれていても全裸のものはない!」

矢継ぎ早に声を張る男を見て呆れた溜息が漏れ出すのを止める事は出来んせんでした。

「当たり前でござんしょう? 例え絵姿と言えどわっちは着物全部脱いで見せるなん、はしたない真似ようせんでござんす」

全く、何を言い出すやら。皆それぞれの趣味嗜好を持っているものだが、全裸を見たいなどとぬかし倒したのはこの男が初めてでござんす。

「申し訳ありんせんが、お断り致しんす」

呆れ果てて出る言葉もなんと拙くなってしまったことか、情けない

「頼む! 花魁!」

「断りんす」

こんな面倒臭い男は、さっさと事を済ませて寝かしつけてしまうに限る。そう思ってわっちは正した居住まいを崩して裾をはだけさせる。
わっちの姿を舐めるように見ていた男は堪らなくなったのか生唾を飲み込んだ。

「夜も更けて、ちぃと寒くなって参りんした。旦那さん、どんぞこの冷えた体を温めてくんなんし」

目を潤ませて袖を噛み、視線をゆるりと男に流す。

「じゃあ、これでどうだ」

男はわっちへと伸びそうになる手を引っ込めると、袂に手を入れて酒膳にそれを置いた。
月明かりを浴びてきらりと金色に輝く大判が一枚。一両だ。
一般人にはおよそ手の届かぬ代物だが、わっちら高級女郎はそんなもの常々見ている。
だからといって、心が動かないかと言われればそういうわけでもありんせん。昼夜と男の精を抜く女郎は常に寝不足でありんす。
情事が終わって客が寝入っても、その客が厠に行くと言った時、何か用がある時などには起きて手伝わねばならぬ。ようやく眠りにつけるといえば辰の刻に客を大門から送り出した後の二刻半が関の山。
当然疲れが癒される筈ありんせん。
昔で言えば呼出中三。つまり昼の客は三分、夜は一両二分掛かる雲の上の高級な女と言う意味でありんす。
一両あれば、昼見世の身上がり金を払って堂々と寝ていられる、それが膳の上に出されたのだ、心が動かない筈なんありんせん。
だが、たかが一両で着物を全部脱ぐというのは些か安く買われ過ぎという物でありんす。
視界の端にちらと一両の存在を認めたものの、しっかりと視線をやる訳でもなく、煙管に刻み煙草を詰めて火をつけた、そんな端金に用はないと言う意思表示。
男は黙ってわっちの様子を眺めておりんしたが、うんと一つ頷いて更に懐からもう一両を取り出し膳に重ねる
二両。
ニ日分の見上がり、などと頭の中で打算的な考えが浮かぶ。煙草を深く吸い込み、ゆっくりと月に向かって煙を燻らせる。
ここからは駆け引き。
決死の覚悟でわっちの着物を剥ごうと見世に登楼がった札差、遊べる金がその程度の筈もなかろうて。かといって釣り上げ過ぎても傲慢な女と悪い風聞につながる。

男の懐具合の境界線を見誤ってはならない

男は更に一枚を膳に重ねる。三両、妥協点でありんしょうか?
否。磨きぬいたこの体、その程度で晒してなるものか。
ここまでは男も予想の範疇だったのだろう
若山頂点の女を脱がせたい、その意思表示が伝われば十分といったところでありんしょう、懐から財布そのものを取り出しんした。
その重みと厚みから相当な覚悟をしてきたのは間違いありんせん。
さらに重ねたのは二枚の大判。これで五両。
このまま逃すには惜しい金だ。この男はなんとしても繋ぎ止めなければならぬ。己の為にも見世の体裁の為にも見世替えや浮気などさせてなるものか。
何よりこれほどの上客を逃したとなれば、楼主に何を言われるか。
普段は昼行灯のように冴えない顔で何を考えているか分からない楼主であるが、客に対する粗相などしようものならば、延々と二刻半は説教を垂れ流しにされる。
当然その間は厠にも行けず、居眠りもできず、煙草など論外だ。日頃の行いなどを注意された挙句、叱責にかかった時間の見上がりまで払わねばならないのでありんすから理不尽極まりない。
子供のようにうなだれて説教を聞く己の姿を想像して、背筋に悪寒が走る。
わっちは煙管の雁首を灰壷に叩きつけると、着物を縛る帯を引く。

「やれ・・・、困りんした」

自らの帯をつんつんと引っ張ってはみるものの、解ける勢いはない。

「今日の着付け師はなんとも下手でありんすなぁ、これでは着物が脱げてしまいんす」
勿論、嘘だ。この華屋で着付けをする仕事人がそんな粗相をしでかす筈もありんせん。
ほとほと困り果てた言葉とは裏腹に艶やかな笑みを刻む唇に潤んだ瞳を流れるように男に注ぐ。

「どなんしんしょう」

と麗しさをたっぷりと含ませた声音に男が身を乗り出すが、思い直したのか一度は駆け寄らんばかりになったその体を戻し、居住まいを正し、わざとらしい咳払いをする。

「なんとも華屋の着付け師とは・・・、思いの外愚か者じゃな、したらば、賃金を上げて腕の良い着付け師を呼ぶといい」

神妙な顔をして、男はさらに五両を膳に置く。

「いつもの着付師が風邪で寝込んでおりんしてな。弟子が参りんしたが、いかんせんまんだ仕事にできる腕前はなさそうでありんすなぁ」

するりと帯をひいて結び目を解くと正絹の滑りが良い帯はするりと緩み着物の合わせが乱れる。

「風邪で寝込んでおるのか。なんと難儀なことじゃ。この時期の風邪は厄介じゃからなあ。これで医者を呼んで薬代の足しになれば良い。渡してやれ」

さらに十両。さすがにここまでくると膳に積まれた大判は圧巻だ。そろそろ潮時か?

「あぁ、やはり信用のおけぬ着付師は油断ならん。これではわっちゃあはしたない姿を旦那に晒してしまいんす、あぁ、困りんす」

わざとらしい演技なのは男も判っているだろう
むしろそんな建前はどうでもいい。
男にとって大切なのはわっちが脱ぐ気になったかどうかで、互いの口から漏れる言葉などその場の上面を滑り抜けるだけ。
するすると着物を肩から滑り落とし赤い襦袢をはだけさせる。
足を崩し蹴出しが襦袢の裾から覗くと、男は酔いのためではなく上気した頬を隠しもせずに慌ただしく財布に手を入れる。
だがこれ以上の金は受け取ってはならぬ。何事もちょうど良いさじ加減と言うものがありんす。
その判断を誤るほど愚かでは若山の頂点は張れない。懐に余る金も今後長く通って貰う為には止めねばならぬこともある。
客の評判も己の評判も、ほんの少しのすれ違いが互いの評判を落とすことになる。
客の出すままに金を受け取るなどと言うのは中級以下の学識低い女郎の仕業。客と女郎の妥協点を知らねばならぬ。多く奪えば男の酔いが冷めた頃に逆恨みされかねない。
客を粋人にするも無粋者に貶めるも女郎次第。
男が金を取り出すより早く立ち上がり赤い襦袢をするりと脱ぎ落とし、肌襦袢だけになるといささか仰天した男の側に身を寄せる。

「帯紐までが緩んでしまいした。旦那さん・・・、どんぞ、直してくりゃれ」

薄絹一枚から伝わる柔肌の温もりに、夢か現か熱にうかされた様にうっとりとした表情のまま己の意思関係なく誘われたように細い帯紐に手をかけてゆるりと引く。
蝶結びの帯紐はしゅるりと音を立てて解け肌襦袢が肩からひらりと落ちる。

「あぁ」と驚きとも感慨とも取れない小さな声を出して男の目がわっちの豊かな胸に釘付けになる。

張りのある豊満な胸は、わっちが誰にも負けぬ商売道具、胸元をはだけさせても皆まで見せたりなど滅多なことではしんせん。
月夜に浮かぶ白い肌なだらかな曲線、つま先までも余すことなく執拗に男の視線が絡みつく。
男の口から感嘆のため息が漏れ出すのを誰が止められようか。

「ふ・・・、触れても良いか?」

よいかと聞くがこのまま触れずに帰るつもりなど、毛頭なかろう。
わっちはやんわりと微笑んで、男の唇に指をあてがい喉元を撫で、胸元を滑り帯へと辿り着いた手でそのまま男の帯を解く。

「秋も深まれば寒うござんす、温めてくんなんし」



むにゃむにゃと男は何事かを言いながらだらしなく笑って眠っている。
さぞや心地の良い夢を見ているのでありんしょうな。二十両の重みをたっぷりと詰め込んだ宵を提供したのでありんすから当然と言えば当然。むしろ満足して貰わねば困りんす。
東の空が白み始める頃合い、早起きの雀がちゅんちゅんと可愛らしい鳴き声を響かせる。
朝方は少々冷え込む。襦袢の上から着物を羽織って窓際に座ると煙管に刻み煙草を詰めて火を点ける。
ふわりと白い煙が風に乗って揺らめきながら消える、きっとこの男が大金を払ってまで見たがったわっちの身体など、この煙のように淡く儚く消えてしまう程度の思い出。
誰かの心に強く刻む事が出来る想い出という物は、金子で手に入る物でない事など、若山に限らずどこの女郎も知っている。
わっちとて枕を交わした男などいちいち覚えてはおりんせん。
ただ一人、心に刻んで掻き乱す事が出来るのはあの方一人。
阿部家の若い当主が祝儀を挙げた。そんな噂は意図せずとも耳に入る。
こっそりと袖に隠した小さなお守りをわっちは握りしめて軽く目を閉じる。目頭が熱くなるのはきっと気のせいでありんしょう。



煙草が酷く苦く感じんした。