華と勇 第2話 二人朗読 / 白鷹




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所要時間:60分程度
利用規約をお読みいただきご利用下さい。
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赤色の文章は牡丹役
紫色の文章は惣一郎役


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はらはらと空から真っ白な雪が舞い落ちる。
鈍い色をした雲がよもやこの様に美しい花びらを撒くなどとは思えぬものを。行燈の明かりが頼りなげにひらりと揺らめく。
その明かりを背に纏って女は窓際に座り煙管を吹かしている。

「寒くねえのか」

そう聞くと女は(あで)やかな笑みを唇の端に刻んで、煙管の雁首(がんくび)灰壷(はいつぼ)にコンと軽く叩き付けた。

「そう言えば寒いでありんすな」

身を刻む様な寒さを別に今感じ取った訳ではありんせんが、今年の冬は冷え込むと聞いているが故、わざと窓を開け放したのだ。

「雪を見ていたいならもっと七厘(しちりん)に炭を入れろ、こっちまでこごえちまわあ」

ひゅうと一陣の風が窓から吹き込んで、今まで火照っていた筈の身体から熱を奪い去り凍えさせる。
思わずぶるりと身震いをして布団を手繰り寄せた。

「近頃は炭も何もかも高くなりんしてなあ。いよいよ冷え込んだ折りに炭が無いでは他のおきちゃも凍えさせてしまいんす」

言葉だけはやんわりと、だが火鉢に墨を足す様子は無い。
相変わらず雪を愛でながら煙管を吹かしている。頑固な女だ。

「炭が高いだあ? みみっちい事言ってんじゃねえや! ほらよ」

袖から二両取り出して、つんと澄ました女の方へ無造作に放り投げる。
すると羽衣(はごろも)を汚して(ひそ)め面をした天女の様な顔をしていた女の唇から満足げな笑みがこぼれる。

「ありがとうございんす。松川屋様は懐の広さが違いんすなあ」

「けっ、白々しく笑いやがって、手順書手繰る新造でもあるめえに拙い事言ってんじゃねえよ」

女、幕府公認若山遊廓のてっぺんを飾る花魁の中の花魁、牡丹はくつくつと悪戯な笑いを洩らす。
てっぺんを買うには相応の金が掛かる。揚げ代と宴会に散らす金だけで抱ける女ではない。
炭が足りないなどというのは祝儀を積ませる口実だ。


炭代、そういう名前の祝儀をおきちゃに告げるんは、初冬に入ってから指折り数えるとそろそろ両の手では足りなくなっておりんした。
地獄の沙汰も金次第、遊郭の女郎と地獄の閻魔とはどちらがより優しかろう?
惣一郎様との付き合いもこれで丸三年になりんす。
遠慮も要らぬ歳月とは言え、金が欲しいなどとあからさまに言うのは(いささ)か礼儀に反する。
さて、次の お目見えには何を理由にしようか?
そんな事を考えていると小粋な遊び人はわっちの腕を掴んで己の元に引き寄せんした。

「身体の芯が冷え切っちまった、お前が責任もって暖めろ」

傲慢な微笑みに逆らえる女などそうはおりんせん。
何せ、この男を客にしたい、間夫にしたいと願う女はこの遊廓には掃いて棄てるほど。
この若さにして、上方(かみがた)遠く公家(くげ)を顧客に持つ呉服屋老舗の若旦那の地位に就くと噂されている。
羽振りの良さに加えて男前、わっちでも時々見惚れてしまう様な端正な顔立ちは前世に相当な徳を積んだのかもしれんとさえ思いんす。

「そういや、お前えさん。妹を持ったってえ聞いたが?」

またこのスケコマシが、遊廓にいる女は全て知り尽くさねば気が済まぬのか。

「持つには持ちんしたが、まんだ禿。おきちゃに見せる訳には参りんせん」

本音三分建前七分。

「なんでえ、勿体つけやがって」

この時、ほんの僅か、瞬きする間ではあったが、牡丹の眉根に険しい皺が刻まれたのを俺は見逃さなかった。
何か訳有りか?
華屋のてっぺん花魁に就く様な女がいるなんざついぞ聞いたことが無い。

早い内から名前を売り出す為にも噂を流すのが通例だろうに、噂も流れていない。だが、牡丹の反応から見て妹持ちになった事だけは確かなのだ。
好奇心も身を乗り出すってなもんだ。

「お前えさんの妹に就けるなんざ将来のお職が約束されてる女だろ?」

さあ、どこをどうつつけば口を割るか。

「惣一郎様」

にやける口元を押さえ込んで聞いた所ぴしゃりと厳しい声で名を呼ばれる。


全く、掌で口元を覆っているのは自然と笑みがこぼれるんを隠す為。
甘い菓子を目の前にたっぷりと出された童の様に目を輝かせて、興味深々な素振りを隠しきれていると思っておりんしょうか。

「まんだ見世に出さん女でありんす。あれこれ探るんはちょいと野暮でござんしょ?」

途端に惣一郎様は苦虫を奥歯で磨り潰した様な渋面を作ってぶすくれんした。
体だけ大きくなった子供の様な方。

「それに惣一郎様の敵娼(あいかた)はわっちでござんすよ? いくら妹と言えど浮気は浮気でござんす」

そういいつつ惣一郎様の方を見てぎょっとしんした。
背丈も幅も決して小さくはない大の男が膝を抱え、これでもかと言うほどに身を縮こめて唇を尖らせているのでありんすから、そりゃあ驚きもしんしょう。
しゅんと、うなだれてしまうその様子が余りに惨めでつい仏心が顔を覗かせんした。

「実はわっちもそんな引っ込みがいるとはついぞ知らんかったでござんすよ」

妹について語り始めると、もはや態度豹変、身を乗り出し新しい玩具でも与えられた様な顔になりんした。


「引っ込みか! 華屋の引っ込みたぁ、そりゃあ大した肩書きじゃねえか!」

引っ込み禿とは見世の楼主(ろうしゅ)が育てる娘だ。大抵の娘は見世が買い取ってすぐに姐女郎の元で躾けられる。
もしくは大した面相を持たず集合女郎部屋の女になる場合は、下働きなどで初潮が来るまで過ごし、女となったその日に客を取らされる仕組み。
だが、引っ込みはそのどれにも属さない。
売られた時にとんでもない美人で、且つある程度の学識を備え持っていた場合、
楼主(ろうしゅ)がじきじきに手元で仕込み、新造出しの近くなった頃姐女郎の手に引き渡される。
つまり、買い取られたその日からてっぺんを取る事が約束された、稀に見る幸運の持ち主と言う事だ。

「引っ込みの姐として相応しい女に認められたってのにお前ぇ、なんでそんな仏頂面してやがんだ?」

更に機嫌を悪くしたらしい、牡丹は煙管の雁首(がんくび)を強かに灰壷(はいつぼ)に叩き付けて、灰を落とす。
雁首(がんくび)が取れるか灰壷(はいつぼ)が割れるか、いずれにしても耳障りな音が響く。

「気に入らんのでござんす」

眉間に川の字を濃く刻んで苦しそうに吐き出した。

「気に入らねえって、何が。思っても無いような不出来な娘なんかい?」

「その逆でござんすよ」

「逆?」

「三味も歌も踊りも所作も何一つ非の打ち所なんありんせん」

「そりゃ願ってもねぇ話じゃないか」

「あまつさえ琴や胡弓、茶道も表に裏両方ともこなす、華道はいうまでもなし歴史深い池坊(いけのぼう)を合いもって、今更あっちが教えられる事なんなんもありゃあせん。
ただ、新造出しをするんに姐がおらんのは体裁が悪い、わっちもこの年で妹一人おらなんだでは外聞が 良くない。そんな体裁ばかり取り繕う為にあてがわれた妹でござんす」

「つまり、楼主(ろうしゅ)はお前えさんの仕込みでなく格のある師範に技芸を叩き込ませたってぇ訳かい。まあ、そりゃ可愛げには欠けらぁな」

「同じ年の頃というなら他に娘もおりんしたというに、何故今更躾ける必要も無い妹をつけさせたのかわっちには判らんのでございんす」

「肩書きだろう」

華屋の引っ込み禿が若山てっぺんの女の元で新造出しする。
おそらく、若山に来る客は全てその姿を一目見ようと押し寄せるだろう。
手が届く届かない、そんなものは関係ない。

素見(ひやかし)だろうが客として他の見世と手を切って準備する男だろうがそんなものは後の話だ。
とんでもない虎の子を華屋が持っているという噂が一世を
風靡(ふうび)すればそれでいいのだ。

そんな簡単な事が判らない女ではない。
ただ、認めたくないのだ。

件の妹が新造出しを終えた後、新たに付く客の何人かは新造目当てだと言う事、そして自らが教える必要の無い芸事の持ち主だという事。
てっぺん女郎とて女、いや人間だ。嫉妬心の一つや二つ持っていて当然。

「ま、気持ちが判らんでもねぇが、お前ぇさんは華屋の看板だ。相応の女にお職を継がせにゃあならんだろ」

俺に対する商売っ気を無くしたのか仏頂面で煙管を吹かしている。

「わっちを差し置いて妹が気になるってんならとっとと出て行きなんし」

「は? いや待てよ、今追い出されたら大門(おおもん)は開いてねえし、外で凍え死んじまうじゃねえか」

「結構でございんす!」

どうにかこうにか辰の刻には牡丹の機嫌をとって凍えることなく見世を出て大門(おおもん)をくぐる。
この頃合いは丁度泊り客がそれぞれに帰る為、様々な籠が出入り口にごった返している。
若山遊廓までそう遠くない場所に
(たな)を預けられている俺にはそんなもの必要ない。飄々とした顔で人混みを抜けて三つ角で立ち止まると大門(おおもん)を振り返った。
雪は明け方に近付くに連れ酷くなっていて身を切るような冷たい風が通り抜ける。きっと何かが起こる、そんな予感に躍動する胸を抱えて再度帰り道を辿った。




「牡丹姐さん、昨夜のお片付けは終わりました。他に何かありますか? それと朝食はいつお召し上がりになるかとお聞きしたいそうです」

浅い眠りの夢の中にそんな鈴を転がした様な声が紛れ込む。
まだ夢の中でゆっくりと疲れを癒したい、そんな思いが先だってむにゃむにゃと返事を返すも言葉にはなりんせん。

「あの、姐さん・・・」

困ったように尻すぼみになっていく声が気になって薄く目を開けると陽の光が眩しく飛び込んで再度目を閉じる。
この声は新しく付いた妹のものでありんす。いっそ無視して再び眠りについてもいい。
正直、何故これ程に己が意固地になっているのか良く判らぬ。
ただ、驚いたのだ。楼主(おやかた)にそろそろ妹の面倒を見ろと言われたのはふた月が前。

大見世華屋、花魁になるべく躾けられている女は決して少なくない。いずれも粒ぞろいの見目いい娘ばかり。
全てとは言わないが、わっちがお職で、若山で頂点を極めた女だと知るや、皆揃ってわっちに媚を売る。
隙あらばわっちの妹となり、いずれは頂点をと望むのは当然の成り行きでありんす。
そしてそうある事を快く思っていた事も否めんせん。
その内の誰がわっちの後継になるか我ながら楽しみにしていた覚えがありんした。

けんど、楼主(おやかた)が連れてきた娘に見覚えは無かった。
驚くほど美しい娘だった。

わっちの冷たい態度もおそらく堪えているであろうに、うらみつらみをおくびに出す事もせんのがまた腹立たしくも感じんす。
一度、冷たく接してしまったが故に温かく迎える機を逃してしまいんした。
我ながら愚かなとも思いんす。
いっそ、どうしてそんなに冷たいのかと食って掛かってくれば受け入れて態度を改める事もできんしょう。
けんど、この子はいつでもにこにこと貼り付けたような笑顔を崩しんせん。溝は深まるばかり。
わっちが大人にならねばなりんせんと思いつつ、その機会もいつになるか、皆目見当も付きんせん。
わっちが言い付けた手習いも習い事も雑用ですらそつなくこなすでは、一体いつ受け入れる事が出来んしょうか。

「姐さん、さっき台所裏で蓮太郎に芋の蒸し饅頭を貰いました。姐さんも一緒に食べませんか?」

相変わらず、わっちに気を遣い続ける有様。
甘いもんは余り好きではないと伝えようとすると、娘は両手でぐっと半分に割ろうとする。
また、機を逃がしてしまいんした。
芋饅頭は半分に割れるどころかりんの右手に摘んだ小さな親指分と余りの大きな饅頭に分かれる。
半分とは? そう聞き返したくなるような状況でりんの目が見る見る間に潤み始める。
わっちは一つ溜め息をつく。

「おんしが全部食べなんし。わっちは要らん」

そう言ってしまってからはっとする。ここは苦手とかそういうのではなく、小さな欠片を貰っておくべきだったのではないか。
要らんなどと妹の心遣いを根本からへし折ってしまった。
己の愚かさを殴り飛ばしたい気分になりんした。

いっそもう座敷に呼んでしまおう。
その中で打ち解ける事もあるかもしれん。それでその機会に恵まれなかったとするなら、この先そんな機会には恵まれんせん。
そう決めると、夜見世の支度の為に来た髪結いに告げる。

「この子の髪を先に結ってくんなんし。りん、こっちに来て座りなんし」

「は、はい」

食べる事の出来なくなった芋饅頭を、慌てて懐紙を出して置くと言われた所に座る。

「どうしますか? 桃割れですか? それとも島田で?」

「まんだ禿でありんすが、座敷に出しんす。潰し島田で頼みんす」

そういうと、座敷という言葉に高揚したのか、りんの頬がぱぁっと明るくなる。
なんと笑顔の愛らしい事でありんしょうか。

「じゃあ、化粧もしましょうかね」

さて、着物は何を着せんしょうか。小柄な娘でありんす。桜色に薄紅の牡丹が咲く絞り、いやいっそ江戸小紋か。
なんにしても初めて座敷で披露するんに、みっともない着物なんぞ着せてはわっちの恥となりんす。
着物を選び終えて見ると、薄い化粧を載せた娘は、なんとも可憐な花咲く美少女になっておりんした。




「本日の座敷が惣一郎様とは奇遇でありんすな」

そう言ってにこやかな笑顔を貼り付けて牡丹が笑う。
だが、この笑顔は作り物だ。牡丹の隣では妹に就いたという美しい少女が琴を爪弾いている。
妹のお披露目に緊張を隠しきれないまま、上滑りの言葉を次々に口にしながら酌をする。

「今時、琴をたしなむ女も珍しいな」

「素晴らしい音色にござんしょう?」

そう褒めるが本人、琴の音色なんぞ耳には入っていないだろうに。
京からわざわざ下ってきた反物屋の旦那を接待に連れて来たのだが、思わぬ収穫だ。
話の通り、いやそれ以上に出来映え優れた少女だ。

見た目も然る事ながら立ち居振る舞い、礼節、技芸何を取っても非の打ち所が無い。
接待として連れて来た反物屋もいたく気に入って、こんな取引が出来るならと早々に証文も貰った。

想夫恋(そうふれん)か、顔の割に大人びた曲を奏でるもんだ」

「わっちが教えた訳じゃあござんせん」

だろうな。牡丹は三味と歌が得意だ。琴なんぞついぞ聞いた事がない。そりゃあ面白くもなかろう。

「りん、お連れの方に酌をしなんせ」

牡丹が呼ぶと「はい」と鈴を転がしたような声で返事をして反物屋の傍に寄り「どうぞ」と盃を渡して酌をする。
しなやかな所作はたったそれだけの事であろうに舞でも舞っているかのような滑らかさだ。
初の座敷だろうが臆する事なく笑顔で反物屋と話をしている。

京の都の話を興味深々で聞く様子に、反物屋の口も滑るように開く。

聞き上手と来た日にゃ将来有望だ。

「いい子じゃねえか」

そう褒めると
「当たり前の事を言わんでくんなんし。わっちの妹でありんすよ」
と上面の自慢をする。


りんを気に入ったのは一目瞭然。惣一郎様はわっちが傍に侍っているにも拘らずちらちらとおりんの方ばかり見ておりんす。
敵娼(あいかた)を差し置いてほんに失礼な男でありんす。

「そろそろ中引けでござんすが、お泊りでよろしゅうござんすか?」

「そうだな、旦那も宿は決めてないといっていたから、今日はここに泊まるか」

早々にりんの傍から惣一郎様を切り離さねばならん。

・・・?

今、わっちは何を考えんした?
惣一郎様を、りんと切り離す? 何故?

「初見世は旦那さんが受けてくれるんですか?」

そう言って商談相手にけしかけているりんの姿を凝視する惣一郎様。
ざわりと、黒い感情が胸に込み上げる。
りんの出来映えに対する嫉妬? いや、これは・・・。

悋気(りんき)、だ。

惣一郎様の視線がりんに注がれているのが気に入らん。りんを褒め称えるその口を今すぐ己の口で塞いでやりたい。
敵娼(あいかた)はわっち。わっちではなくこの男は誰を見ておりんすか。
嫌だ、嫌だ。これ以上りんを見んでくんなんし。

「そんなら、惣一郎様。ここはりんに任せて褥に参りんしょう?」

「あ? あぁ、まぁ大丈夫か」

りんを見ると「せっせっせーのよいよいよい」なんぞと頓珍漢な歌声が耳に届く。

「は?」

何をやっているのだこの娘は。

「姐さん、私はまだお客様のお相手が出来ませんと言ったら、指一本触れて一朱(いっしゅ)くれるって言うんです。
だから指一本ずつ触れていって今から手つき遊びでありんす。
公家(くげ)のお方はこんな遊びをなさるのだそうです」

「指一本・・・、一朱(いっしゅ)?」

「十本で一両一分(いちりょういちぶ)。おい、この娘お前の揚げ代稼ぎやがったぞ?」

束の間唖然とするが、この様子なら大丈夫でありんしょう。


「通りゃんせ通りゃんせ」

少女の明るい歌声を聞きながら珍しく積極的に褥に誘う牡丹と共に寝間へ入り襖を閉める。

「どうした、牡丹。お前ぇさんが珍しく自分から褥に入ろうなんざ、明日は雪か嵐か」

からかいを含んだ言葉は刹那、牡丹の唇に塞がれる。
花魁は滅多に口吸いなんぞ許しゃしねぇ。
高位の花魁になればなる程、態度はそっけなくなるし気を遣るような素振りも見せないものだ。

華屋のお職でもある牡丹のそれは今、微塵も感じられない程熱烈に俺を求めている。
暖かく柔らかいそれを黙って受け入れると、下唇を強く吸われくらりと目の前の女に心が揺らぐ。

長い口吸いの合間に洩れる吐息が絡まり、血の巡りのせいで身体の芯が熱くたぎり己の欲望のまま、牡丹を布団に押し倒すと崩れる様に女は身を投げ出す。
長い口吸いに恍惚とした表情を隠すことなく、潤んだ視線で絡め取られた俺は牡丹の帯を強く引いて着物を脱がす。

朱い襦袢が肌に張りつきなだらかな曲線を描いて誘う。

「惣一郎様、あんまり切ない態度をとらんでくんなまし」

苦しげに喘ぐように絞り出した声がなまめかしい。
大きく開いた襟元から見える肌はほんのり紅色に染まり、駆り立てられるように唇を這わせる。

この牡丹の様子は一体どういう事か。理由は判らないが牡丹の色香に逆らう事が出来ないまま身を任せようとする。

その時だ。

隣の部屋の様子が少しおかしい、と気付く。
襖を隔てた向こうからぴしりという音が響くとともに、少女の小さな泣き声が聞こえる。

「おい、牡丹。隣の様子、おかしいぞ」

「またそんな、気の無い事を言わんでくんなんし」

持て余した熱い身体を持ち上げて、忘我のままに俺の首に腕を絡ませる牡丹を引き剥がして耳を澄ませると、今度こそ確かに泣き声の入り混じった小さな悲鳴が聞こえる。

「誰か、助けて」

その声にさすがの牡丹も我に返り、身を起こして襦袢の合わせを正すと立ち上がって襖を開ける。

「どなんしんした」

牡丹に続いて部屋を見ると、反物屋の男が禿を押し倒して、あろう事か着物を剥ぎ取って、襦袢まで脱がそうとしてたのだ。


「なっ!」

目の前の光景が信じられんかった。
酔っぱらった男に押し倒され抱きすくめられて、必死に抗う少女の目から流れる大粒の涙。

「姐さん、助けて」

喉の奥から絞り出した様な泣き声で我に返る。

「何をしておりんすか! 振新(ふりしん)でも手を出すのはご法度だというに! この子はまだ禿でござんすよ!」

怒り心頭に達して低く恫喝の篭った声が口から飛び出る。
わっちに向けて必死に手を伸ばす妹の手を取ると、反物屋を蹴り飛ばして妹を腕に抱く。

「りん、大丈夫でありんすか?」

「だいじょう、ぶ・・・、まだ」

まだ、事に至ってはいないらしい。が、頬に赤く打たれた跡がある。逃げようとして殴られたのだ。

「姐さん、姐さん」

まんだ、恐怖のあまりがくがくと震える体で、弱々しく背に腕を回す妹を力の限り抱き締めんした。

「もう、大丈夫でありんすよ。大丈夫、大丈夫」

さぞや怖かっただろうに。
年端もいかぬこんないたいけな少女。酔った男にいきなり押し倒され逆らって頬を打たれ、体中をもみくちゃにされて、着物を脱がされて。
わっちは、一体何を血迷ったのでありんしょうか。
己のくだらぬ悋気(りんき)如きで、おきちゃと二人きりになりたいが為に、よう躾もしとらん初めて座敷を迎える妹を男と二人きりにしんして。
こんなに、大粒の涙を流させて、それでも大丈夫と強がる妹を、なんで今まで大切にしてやれんかった。

「ごめんなんし、ごめんなんし。怖かったでありんすな。・・・ごめんなんし」

喉の奥に飲み下せない塊が詰まる。
未遂で終わって良かった、ほんに良かった。
おりんは小さな体で力いっぱい抱き着いて泣きんした。「姐さん、牡丹姐さん、怖かった」と、繰り返し言いながら。
わっちは決してもう目を放すまいと誓い新たに胸に刻む。
何を勘違いしていたのでありんしょうか、どれだけ芸事が優れていようと、どれだけ立ち居振る舞いが秀でていようと、

この子はわっちより六つも年下の子供だという言う事も忘れておりんした。


「旦那、何したか判ってるんですか」

自分でも怖ろしく冷徹な声で、半裸になった男を睨み付ける。
おそらく俺よりは一回り位年上の男だが、そんな事今更どうでもいい。
まだ、
(たな)を預けられてはいないが、営業や仕入れ、金品出納についても大方の(たな)周りを任されている俺にとって、松川屋は骨を(うず)めると誓った家だ。
その
(たな)の暖簾にこの男は泥を塗りたくったのだ。

「その、あの・・・」

一気に酔いが覚めたのだろう、何事かをもごもごと口籠っているが、はっきりとした言葉は聞き取れない。

「旦那。訳を聞かせて貰いましょうか」

たじろぐ反物屋の前に片膝を付いて問い質すが、当然まともな理由など聞ける筈もない。
引っ込み禿や振袖新造に手を出すなんざ、決して犯してはならない座敷の理をなんと心得ているのか。いや、心得など持っていなかったのだろう。

「何が悪いんや」

ふと、反物屋の口から不敵な笑いと共にとち狂った言葉が飛び出る。

「こっちは一両(いちりょう)一分(いちぶ)も払ったんや! 呼出昼三(よびだしちゅうさん)と同等の金を払っとるのにお預けとはどういう了見や!」

「祝儀は揚げ代とは違いますよ、旦那。それともなんですか? 島原では新造でも金を出せば抱けるんですか? そりゃあ安い女を相手して来たんですね」

俺は、先程貰った証文を懐から取り出すと、びりびりと破り棄てる。

「な・・・っ!! なにするんや! この若造めぇ!!」

破り棄てられた紙を掻き集めて反物屋は喚き散らす。
はっ! 織物といえば京の都だというから大きく期待し過ぎてしまった。名前ばかりに気を取られてなんて様だ。
親父に合わせる顔がねぇ。

「惣一郎様、いくら松川屋様とのお取引のお相手と言えど、ただで許す訳には参りんせん」

牡丹のこわばった声も耳に入る。

「済まない。今度、改めて詫びを入れに来る」

「反物屋の旦那様の事でござんす。惣一郎様は何も悪くありんせん」

「いや、この不始末をただで済ませる積もりはない。この旦那は好きにしてくれ」

証文も破り棄てた以上、この旦那がどうなろうが知ったこっちゃない。
おそらく、このまま華屋の妓夫(ぎゆう)にしょっ引かれて酷い仕打ちを受けるだろう。
俺も、松川屋の親父には頭下げてこの始末を付けなければならない。




「姐さん、虫干ししてた襦袢と着物をしまっておきました」

「しまっておきんした」

「あっ、あ・・・、え、と、し、しまっておきんした」

元々の言葉遣いがきれいな分、廓言葉はなかなか使えるようにならん。
一つきちんと教えねばならんもんを見付けて、わっちとりんの姉妹仲もすっかり馴染み、愛情さえ溢れて来んした。
改めてみるとほんに美しいお雛様の様な娘でありんす。
見世が大切に育てた娘、ならばわっちも手を抜く事なく、身を入れて知る限りの知識を叩き込まねばならん。
源氏名も付けねばならんかったが、この子に似合う花の名をなかなか思い付かず、未だにりんという名のまま過ごしておりんした。
そして何よりこの子に感じる不安が拭い去れんせんかった。

男を狂わせる。

可憐で愛らしく正直で嘘が苦手、真っ直ぐで芯が強い。けんど何より美しすぎんす。
見世が隠して育てたんも然り。
この子を奪い合い、いつか何事か争いが起こるやもしれん。
こんに幼い内から、たった一度座敷の名代を任せて、その日の内に反物屋の将来を狂わせんした。
おなごのわっちが見ても魂消(たまげ)る程の美貌を持ちながら、どうやら楼主(おやかた)の元で育てられているという蓮太郎という下働きの少年に心を遣っているらしい。
蓮太郎の話でからかうと顔色が赤くなったり青くなったり、なかなかに面白いと思いんすが同じ見世の女と男が通じるのはご法度。
これも併せて教え込んでやらねばならん。
そうして面と向き合ってみると躾ねばならん事は山積みでありんした。

「りん、今晩わっちは馴染みのおきちゃが重なりんして、おんしを名代にあてがわねばならん」

先日の一件からそれ程時も経ってはおらぬ。
一人で座敷を任せるんに不安が募る。

「はい、大丈夫です」

「大丈夫でありんす」

「あ、ありんす。えと、姐さんが前に教えてくれた・・・、教えてくんなんした
『無作法者は金的を蹴り飛ばして平手打ちをお送り』した上で大きな悲鳴をあげんす」

きりっと面持ちを引き締めて言う少女に思わず笑みがこぼれる。

「そんなら大丈夫でありんすな」

「あい!」

「それと、必要以上に触れさせたり、愛想を振りまいたりしてはならん」

大見世の花魁として、安い女ではないと言外に含ませる。

「判りんした。仏頂面でお琴を弾いておきんす」

仏頂面・・・?
思わず吹き出しそうになりんしたが、この子の場合はそのくらいの方が丁度いいかもしれん。
とはいえ、おきちゃがお泊りを望めば共に床に入る事も否めん。
初見世までこの子の貞操を守り抜くのが一番大変そうでありんすな。




「あの禿はどうなった」

「久方振りにお越しになって、わっちは惣一郎様の顔を忘れんした。それなのにわっちではなく妹の心配でありんすか」

(たな)が忙しくなってきたんだから仕方ないだろ」

「そりゃあ商売繁盛なさっておいででよろしゅうござんすな」

わっちの胸に渦巻く黒い霧は晴れる事はありんせんでした。
一度己の悋気(りんき)を認めてしまえば想いは募る。持て余すこの感情をいかにしたものか。
それなのにこの男はわっちのそんな感情などどうでもいいかのように妹の話をしんす。

「惣一郎様がお気になさらんでも、お江戸上がりのお医者様が新造出しの費用(かかり)を持ってくださったんで、幸先もよろしゅうござんす」

「江戸上がりの医者か」

「尾張の薬屋様がお取引の際、座敷を使ってくだしゃんしてな。
そのお医者様がりんをえらく気に入って
費用(かかり)を出してくださるといいんして、惣一郎様のいらっしゃらない間に遅掛けの新造出しが済んでおりんす。
故にりんはもう禿ではなく新造でござんすよ。もしかしたらそのまま初見世も持ってくれそうな勢いでありんす」

惣一郎様の知りたい事を一気にまくし立てて話しきる。

「初見世・・・」

「今はわっちの敵娼(あいかた)として頻繁に通ってくださっておりんす。わっちには手を出さんと床にお入りの時は必ずりんをお供にと仰せになりんしてな」

不機嫌そうに惣一郎様はふん、と鼻を鳴らすとぶすくれた顔で医者を罵る。

「助平だな」

「惣一郎様より余程思慮深い方にござんすよ。りんの話では共寝の際に妙な手出しはされたことはないと」

「初見世を取ろうとしてんだろ。助平だ」

「事あるごとに色々と費用(かかり)を出してくだしゃんしてな」

話を重ねるごとに惣一郎様の機嫌は悪くなりんす。心がりんに傾いているのだ。
じりじりと燻る炭の様に胸を焼く悋気(りんき)の炎は、このまま放っておけばきっと酷い末路を辿るに違いない。

忘れなければ。
そう、早くこの火を消してもとのわっちに戻らなければ。

わっちは若山遊廓随一の大見世華屋のお職。
いらぬ恋慕は身を滅ぼすどころか見世の評判に係る。
今日、この夜を最後にもう二度と気を遣るまい。
誓いを立てて燃える様な夜を過ごしたこの事は決して誰にも言うまい。


大見世華屋の牡丹。
一度は俺に心を遣ったかと思ったがその誇りは決して安くはないらしい。
今まで中見世の花魁であれ、女郎であれ数々の女を落として遊んできた。

が、どの(おんな)も三度逢えば心を遣ったなどと抜かし倒して裏茶屋に誘う。

それも飽きて大見世のお職を落としてやろうと思っていたがそうそう上手くはいかない、か。
大輪の華。愛情深く優しくて近年ぞくぞくするような色気も兼ね備えた女だが、風に揺れる柳の様に掴めない。
心を遣りそうで遣らない。

諦めたり、か。

ならば、あの次代を担う新造はどうだろう。
落としてみるのに悪い素材ではない。
顔の造作も然る事ながら、引っ込み禿から振袖新造を経て花魁になりいずれお職に着くだろう女。

肩書きとしては十分過ぎる程だ、不足はない。
とは言え、牡丹の話を聞くに医者から札差、廻船
問屋(どんや)に藩主家老、大名御曹司。
堂々たる肩書きを持つ武家や大店(おおだな)の商家に至るまで豪華な面々が初見世を競っていると言う。
新造出しの道中よりこっち、あの新造目当てに牡丹の客も増えたと言う。

初見世を取るには呉服屋老舗とは言え、まだ(たな)を預けられた訳ではない身の上で果たして適うだろうか。
答えは、否だ。

「惣一郎様」

不意に厳しく名を呼びたてられて頬を強くつねくられる。

「いででで、何しやがんだ」

「どうせ、おりんの事を考えておいででござんしょうが。心ここにあらずで女を抱くなんざ失礼にも程がありんす」

天女の様な美貌を鬼の形相に変えて牡丹が厳しく叱責する。

「・・・あ、すまん」

思わず口から謝罪の言葉が洩れ出る。
全く、これだから男はとぶつぶつ文句を垂れながら、それでも俺に体を摺り寄せてぬくもりを感じているようだ。
諦めるのはまだ早いか?

そう考えたが淡い期待は次の言葉で打ち消された。

「おりんの初見世は格たる名をお持ちのおきちゃにお願い致しんす。もし、惣一郎様がおりんをお望みなら(たな)を襲名してから出直してきなんせ」

ぎりり、と太ももに爪を食い込ませて憎々しげに言い放つ。

「痛てぇ!」

牡丹はそのまま、ふんと軽く鼻を鳴らしてそっぽを向く。

「ところで源氏名を決めないのか」

「さて、決めねばならんと思いながら、中々いい名を思い付かんのでござんす」

困惑顔を見せながら、つと、俺に艶笑(えんしょう)を投げる。
この女は、本当に何を考えているのかさっぱり見当が付かねえ。

「今日は大門(おおもん)までのお見送りは要らんご様子でござんすなぁ? あの子の源氏名が決まってもわっちは惣一郎様には金輪際お教えしんせん。
人づてに聞いて精々悔しい思いをしなんせ」

憎たらしいことを抜け抜けとほざきやがって。
花、か。

「淡雪に 凛と誇りし雪椿 白妙かむり 尚麗しき」


女郎の恋は身を滅ぼす毒。決して身を沈めてはならぬ泥沼でありんす。
惣一郎様がりんの初見世までにどれ程の地位を手にしているかは判りんせん。けんど任せる頃にはいい具合に収まるでありんしょう。
りんは決して蓮太郎意外の男には興味を示さない。

そして惣一郎様も遊びでりんを物にしようとあの手この手を使う。
相容れぬ平行線を辿るのならば一番信頼の置ける人かもしれない。

ならば、わっちにできる事は一つだけ。

惣一郎様が(たな)を襲名出来るよう、接待にも客の紹介にも力を入れんしょう。
そうして大店(おおだな)の旦那を襲名できた暁には、潔く身を引ける様に心を整えねばなるまい。
そう、わっちが想いを寄せるお方はただ一人なのだから。


あれから一年と半年。

「松川屋、惣一郎様。椿花魁にお登楼り一」

そう若衆が声を張る。
わっちの胸にはまだ飲み込みきれないぬるい塊が引っ掛かっている。
鈍い刃でじくりと癒しきれない傷のかさぶたを剥がして快る。
けんど、それも時が経てばいずれ消えんしょう。

わっちは(たもと)から小さなお守りを一つ取り出すと胸に当てる。

「新之助様、どんぞわっちを・・・、男女のしがらみから守ってくんなんし・・・」

不思議とこの小さなお守りに守られているような気がして、熱を帯びた胸元を冷ます。
大丈夫、大丈夫。
年季が明けて、晴れてあの大門(おおもん)をくぐる事が出来れば、郷に帰ろう。
きっと、新之助様は待っていてくださるに違いないのでありんすから。


晴やかな夜空に星々がきらめき始め金色に輝く月が虹を纏って、今日も若山遊郭の賑わいを照らす。